太祖のイ・ソンゲの5男イ・バンウォンは、
父である太祖が王(ワン)氏の高麗の
最後の王を廃し、朝鮮王朝を建国した
ときの一番の功労者でした。

にもかかわらず、太祖が自分ではなく、
異腹の弟の8男を自分の後継ぎと決めた時、
激しい嫉妬に燃えました。

 

 

《龍の涙のイ・バンウォン》

このため、太祖が王になるのを助けた
鄭道伝(チョン・ドジョン)と
激しく戦った結果、死に追いやり、
異腹の8男とその兄7男をも殺害
しました。(第一次王子の乱)

おとなしく従った兄たちには
手を出しませんでしたが、
バンウォンと同じように、王位を狙った 4兄と争い、
4兄を島流しにしました。

一方、第2代王となっていた2男の定宗は、このままでは
殺されると思い、早々に王位をバンウォンに譲って
隠居生活に入りました。

太宗は、父王と一緒に戦って朝鮮王朝を建国した
重臣たちが力を増すのを抑えるために、私兵を廃止して
王朝としての軍備を強化しました。

歴史ドラマでよく見かける、宮殿の前に大きな
太鼓をつけて悔しい事にあった民が
いればその太鼓を打って王に
知らせて助けを求める「シンムンゴ」を
設置したのも太宗でした。

腐りきった王(ワン)氏の高麗の民の
生活を考えて色々行ったようです。

 

太宗は自分も兄や弟を死に追いやって王位に就いた
ことから、自分の子供がそうなることをとても
心配していました。(今なら絶対死刑ですね。)

「世宗大王」の最初でもあったように、最初は長男の
讓寧(ヤンニョン)大君 が世子になりますが、
ヤンニョンは自分より3男の忠寧大君(チュンニョンテグン)
(後の世宗)のほうが実力があることを理解し、自分が
廃位になるように仕向け、最後には宮殿を出ました。

《世子のヤンニョンテグンとつめよるチュンニョンテグン》

結局は忠寧大君を王にしますが、
長い間自分が上皇として権威を
ふるいました。

55歳でこの世をさるまで、自分の
息子たちを信じることができ
なかったようです。

「大王世宗」の中でも、世宗の一挙一動に
文句をつけて、自分の意志のみを貫いていましたが、
一生懸命生きた人なのだという感じがしました。

自分の子供たちが、殺し合いをしなかったことは、
この人にとって幸せだったのでしょうね。