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第8代王「睿宗」(イェジョン)1468~1469年

第7代国王世祖の第2王子でしたが、世子だった兄懿敬世子(桃源君)が病の為早世した為、代わりに1457年に王世子となり、1468年に即位しました。

貞熹王后の摂政と重臣の補佐で国王の権力は大きく弱体化しました。

睿宗の治世の間に将軍・南怡の謀叛の企てが発覚したとされ、関与したとされる多数の文官・武官が処刑された「南怡の謀叛事件」(1468年)や「閔粋史獄」(1469年、実録の草本を収めた時に閔粋などが高官の非行を書いた内容のために仕返しが恐ろしくて自分が作成した草本を修正した事件で、連関者はある者は処刑されある者は奴婢に落とされた)などの事件がありました。

病弱だったため19歳で薨去。在位期間は1年2ヶ月でした。