朝鮮の歴史と時代劇の記事一覧

16歳でなくなった王に、「端宗の墓」かわいそう過ぎて周りの待つまで
頭を下げているといわれています

父は第5代国王文宗で 父の3人目の王妃の母は
顕徳王后權氏の長男と してうまれました。

父の文宗が短命なため、 1452年に11歳で即位
しましたが、1453年に 叔父である首陽大君(スヤンテグン)の
陰謀によって1455年に王位を追われて上王となりました。

後に魯山君(ノサングン)に封じられ降格。以後、
江原道寧越へ追放されましたが、それだけではなく、
端宗に傾倒する臣下らによっての再起を恐れた
叔父によって16歳で賜薬されました。

あまりにも短命するた王様でした。

朝鮮の歴史と時代劇

1414年、世宗の長男として生まれて、
7歳で世子(セジャ)となり、
世宗大王が健康を害していたため、
即位前(世宗24年)から摂政として
政務に携わりました。

文宗自身も 若くして病に倒れ、
在位2年、38歳で逝去しました。

文宗の最初の2人の妃は子がおらず廃妃されており、
後をついだ端宗は側室の3人の中で男の子をもうけた
顕徳王后(ヒョンドクワンフ) 権氏です。

2014年11月現在放送中の「インス大妃」でも、
体の弱い自分とその幼い世子の行く末を心配
しながら死んでゆく(自分よりよくできると言われた
弟である第7代王の世祖となるスヤン大君に息子が
王座を奪われる)可哀想な王様として描かれています。

朝鮮の歴史と時代劇

ソウルに行ったことがあるあなたなら、
景福宮の前の大広場にある大王世宗の
大きな像を見たことがあるかもしれません。

大王(テワン)とはもっとも偉大な王様に
だけ使われる言葉で、そういった意味では
世宗大王が韓国で一番有名なのではないで
しょうか。

世宗大王があの非道な第3代王の
バンウォンの息子だなどととても思えません。

そういった意味では、自ら身を引いた
長男や次男を含め、バンウォンは、
心根の優しい息子たちに恵まれたと
言えるでしょう。

世宗大王は、ハングル(韓国文字)の制定を行ったことで
知られ、また、儒教の理想とする王道政治を展開
しましたが、同時に仏教を疎み、多くの寺院を閉鎖に
追い込んだことでも知られています。

日本でもキム・サンギョン主演の「大王世宗」は有名で
何度もテレビでやってましたよね。(たぶん今もどこかの
チャンネルでやっているのでは?)

また、天文、測量、印刷などの分野で、色々な
発明を奨励したようです。

日本で言えば、徳川吉宗将軍のような人だと
思います。

若い頃は仏教を排除して、儒教を重要視しましたが、
晩年は病気がちとなり、それまで抑圧していた仏教に
すがるようになったようです。

1450年、53歳でなくなりました。

長男の文宗が5代目の王となりますが、38歳の
若さで病死するとその息子の端宗が後をついで6代目の
王となります。

ところが、長男よりも出来の良かった次男は、
自分が殺されると思い、端宗を陥れ王座に就きます。

その後端宗は、次男の世祖により、17歳の若さで賜死
させられます。

あの立派な世宗でさえ、生きていれば耐えられない
子供たちの血なまぐさい争いが、あったと思えば、
それを見ずにすんで、良かったとしか言いようが
ありません。

朝鮮の歴史と時代劇

太祖のイ・ソンゲの5男イ・バンウォンは、
父である太祖が王(ワン)氏の高麗の
最後の王を廃し、朝鮮王朝を建国した
ときの一番の功労者でした。

にもかかわらず、太祖が自分ではなく、
異腹の弟の8男を自分の後継ぎと決めた時、
激しい嫉妬に燃えました。

 

 

《龍の涙のイ・バンウォン》

このため、太祖が王になるのを助けた
鄭道伝(チョン・ドジョン)と
激しく戦った結果、死に追いやり、
異腹の8男とその兄7男をも殺害
しました。(第一次王子の乱)

おとなしく従った兄たちには
手を出しませんでしたが、
バンウォンと同じように、王位を狙った 4兄と争い、
4兄を島流しにしました。

一方、第2代王となっていた2男の定宗は、このままでは
殺されると思い、早々に王位をバンウォンに譲って
隠居生活に入りました。

太宗は、父王と一緒に戦って朝鮮王朝を建国した
重臣たちが力を増すのを抑えるために、私兵を廃止して
王朝としての軍備を強化しました。

歴史ドラマでよく見かける、宮殿の前に大きな
太鼓をつけて悔しい事にあった民が
いればその太鼓を打って王に
知らせて助けを求める「シンムンゴ」を
設置したのも太宗でした。

腐りきった王(ワン)氏の高麗の民の
生活を考えて色々行ったようです。

 

太宗は自分も兄や弟を死に追いやって王位に就いた
ことから、自分の子供がそうなることをとても
心配していました。(今なら絶対死刑ですね。)

「世宗大王」の最初でもあったように、最初は長男の
讓寧(ヤンニョン)大君 が世子になりますが、
ヤンニョンは自分より3男の忠寧大君(チュンニョンテグン)
(後の世宗)のほうが実力があることを理解し、自分が
廃位になるように仕向け、最後には宮殿を出ました。

《世子のヤンニョンテグンとつめよるチュンニョンテグン》

結局は忠寧大君を王にしますが、
長い間自分が上皇として権威を
ふるいました。

55歳でこの世をさるまで、自分の
息子たちを信じることができ
なかったようです。

「大王世宗」の中でも、世宗の一挙一動に
文句をつけて、自分の意志のみを貫いていましたが、
一生懸命生きた人なのだという感じがしました。

自分の子供たちが、殺し合いをしなかったことは、
この人にとって幸せだったのでしょうね。

朝鮮の歴史と時代劇

初代朝鮮王朝の太祖の次男としてうまれた
李芳果(イ・バンカ)は優秀で、父に就いて
多くの戦いに参加し多くの功績を立てましたが、

性格がやさしく、兄弟で殺しあってのし上がることを
嫌いました。

太祖は、後継ぎを先の后の子ではなく、若い
后の息子(8男)と決めましたが、
第二次王子の乱で、一番権力を持つ5男の
バンウォン(後の第三代王)らが、8男と
その兄の7男を殺すと、

病気がちの太祖は、次男を王にして、隠居し、
バンウォンを遠ざけました。

次男のバンカは、本当は世子(せじゃ)になりたく
ありませんでしたが、
いやいやながら世子になり、2年間だけ王になりました。

その後第二次王子の乱で、5男のバンウォンが4男を
制圧したのを機に、さっさとバンウォンに王の座を
譲って、悠遊自適な生活を送りました。

バンカは王座を退いてから18年後、63歳で
4代目王の世宗元年になくなりました。

朝鮮の歴史は、兄弟や親類で王座を奪い合い、
血なまぐさい事件も多い中で、この人は
幸せな人生だったのかもしれませんね。

「龍の涙」では、無能な気弱な王として
表現されていますが、多くの子供にも恵まれ
子供たちが殺しあうのを見なくてすんだことを
考えても、彼の生き方はよかったのかもしれません。

朝鮮の歴史と時代劇

 現在BSで放送中の<大風水>
チサン扮するが朝鮮を建国した
「イ・ソンゲ」を助けて

形だけの王であった高麗の
最後の王である王氏(ワン氏)
禑(ウ)王を操っていた
「イ・イニム」を退治して

朝鮮王朝(李氏朝鮮)を樹立した
過程を風水の視点でを描いた時代劇です。

この話ではチサン演じる風水師のモク・チサンに
焦点を当てたドラマですが、

私は、「チャングムの誓い」で有名になった「チ・ジニ」が
演じた李氏朝鮮を建国した「イ・ソンゲ」に興味が
わきました。

というのも依然「龍の涙」という歴史ドラマで
見た威厳のあるイ・ソンゲと、「大風水」で「チ・ジニ」が
演じたあまり野心家でないイ・ソンゲ、中間の「チョン・ドジョン」で
「ユ・ドングン」が演じたイ・ソンゲの違いに戸惑って

本当のイ・ソンゲはどんな人だったのかと思うように
なってしまったのです。

ちなみに「ユ・ドングン」は、「龍の涙」でイ・ソンゲの息子
イ・バンウォン(3代目王)を演じています。

イ・ソンゲ(李 成桂)は1335年生まれで、
今の北朝鮮の日本海側にある咸鏡南道の
永興(金野郡)の出身です、

もともとはそのころ中国を支配していた
元(モンゴル)の武官で、

1357年から高麗の武官になった人です。

腐りきった高麗を一新するため、
権力者のイ・イニムと、チョン・ドジョンらと、
若い実力のない禑(ウ)王を廃して
初代挑戦の国王になりました。

もともと元の武官だったことと、部下に女真族(後の満州族)が
多かったことから、彼自身も女真族だったのではないかと
言われています。

「龍の涙」では、動物の皮を着たりして野蛮な感じに
描かれていました。

王位についたころには高麗の王族はそのままにしていた
ようですが、

後に王氏を守るためと偽って高麗の王族を船に乗せて
海で沈めた後は、

王という苗字を持つ人たちを皆殺しにしたと
聞いたことがあります。

そういえば韓国には王という苗字の人は少ないように
感じます。(私の知り合いにはいません)

李氏挑戦は500年も続いたのですが、
その間には「世宗大王」や「イ・サン」など
全部で27人の王様が即位しました。

韓国ではさまざまな王様*や王様の時代が描かれた
歴史ドラマがありますので、

今後そういった王様を中心に歴史ドラマについて
まとめていけたらと思います。

朝鮮の歴史と時代劇