13「明宗」(ミョンジョン)1545~1567年

明宗は11代中宗の文定王后(中宗の後宮で勝ち抜いた)が生んだ息子で
11歳で即位しました。

在位当初から8年間は母親の文定王后尹氏が実権を握り、文定王后は
一族で政権を独占し、賄賂政治で不正を横行させたたため
、社会や政治が混乱しました。

『大長今』では、主人公チャングムの支援者として描かれていますが、
「チャングム」の中でもチャングムに毒殺を依頼していましたが
”私の医は人を生かす医術で人を殺す医術ではありません”と断わりました。

実際にはドラマ『女人天下』で描かれたように後宮の争いを勝ち抜くために
色々な陰謀を企てた怖い王后だったようです。500年の朝鮮王朝でも
「稀代の悪后」と呼ばれる王妃です。

1565年、文定王后がこの世を去った時、悪政の終わりを意味していると
思われました。

事実、明宗は新しい人材を登用して、文定王后の息がかかった奸臣たちを
罷免したりしました。

追放された者の中には、文定王后の弟であった尹元衡(ユン・ウォニョン)も
いました。

彼は明宗にとって叔父でしたが、悪政の象徴のような人物であり、
新しい政治には邪魔となる存在でした。

民衆のための善政を始めた明宗でしたが、わずか2年で命が尽きてしまいました。
1567年に亡くなったときは、33歳の若さでした。

文定王后の悪政に心を非常に痛めていた明宗は、結局は極度のストレスによって
命を縮めてしまいました。

ちなみに「オクニョ 運命の女」では、時々オクニョに会って世間で
起こっていることを調べる王(自分自身)の家来のフリをする役をしていましたね。

実はオクニョとは兄妹だったんですね。でもオクニョ自体は架空の人物です。

カテゴリー: 朝鮮の歴史と時代劇 | コメントをどうぞ

12「仁宗」(インジョン)1544~1545年

仁宗は11代王中宗の章敬王后 尹氏が生んだ息子です。

朝鮮王朝の歴代君主中、最も在位期間が短い君主として知られています。

父親が在世中に改革を試みたが果たせず、遺物として残っていた
宮中の腐敗を撤廃しようと試みました。

その中には中宗時代に趙光祖の提案によって設置され、一度は廃止されていた
賢良科(科挙によらない人材登用制度)の復活も含まれます。

しかし生来病弱であった仁宗は、在世中も病のために、十分には
政務を果たすことができませんでした。

死後、異母弟である文定王后の子慶源大君が第13代国王明宗として
即位しました。

仁宗が手がけようとした政治改革は、多くの家臣たち、特に仁宗の義理の母
文定王后尹氏の弟尹元衡に警戒されました。

仁宗の死後、彼の伯父にあたる尹任をはじめとする「大尹派」と、
文定王后の実兄である尹元老・尹元衡をはじめとする「小尹派」との
勢力争いが起こり、敗れた尹任は1545年に賜死されました。

もともと身体の弱い仁宗だったが、文定王后に毒を盛られたとの話もあります。
仁宗は30歳でその短い生涯を終えました。

カテゴリー: 朝鮮の歴史と時代劇 | コメントをどうぞ

11「中宗」(チュンジョン)1506~1544年 チャングムの王様

第9代成宗の次男で、第10代燕山君の異母弟です。
第7代王の世祖の擁立に功の有った勲臣と、その子孫達で構成されていた
勲旧派のクーデターによって燕山君を廃位に追いやられた後擁立されたが、
勲旧派が強力になりすぎたことを懸念し、燕山君に弾圧された士林派を
引き入れ革新を図りましたが、結局は士林勢力を押さえることができず、
政局は混乱に陥りました。

ところで、中宗の父、成宗は、12人の夫人との間に16男、12女をもうけました。
恭恵(コンヘ)王后・韓(ハン)氏は子を産まずにわずか18歳で亡くなりました。

その後、王妃となった尹(ユン)氏が燕山君を産みます。
やがて尹氏は廃妃となり、代わって貞顕(チョンヒョン)王后・尹氏が晋城大君と
なる中宗を産みました。

中宗は、晋城大君であったときに慎(シン)氏と結婚していました。
中宗の即位にともなって、端敬(タンギョン)王后となります。
しかし、彼女の父親が燕山君の義兄という立場であったため、
クーデターの功臣らによって廃位されてしまいます。

中宗は、彼女の廃位に抵抗しましたが、結局押し切られてしまいます。
2017年11月まで放映されていた「7日の王妃」ではパク・ミニョンが
端敬王后愼氏を ヨン・ウジンが 晋城大君(中宗)イ・ドンゴンが
燕山君を演じていました。

イ・ドンゴンの悪役初めてみました。なかなか合ってましたよ。

中宗は端敬王后愼氏への恋慕の情を抑えがたく、中宗は高い楼閣にのぼって
彼女のいる実家のほうを眺めたといいます。それを聞いた慎氏
(または慎家の人々)は、慎氏の薄紅色のチマ(スカートのような伝統衣装)を
家の裏山の岩に広げて置いたといいます。

王は、そのチマを眺めながら、愛しい人を偲んだという「チマ岩」の伝説が
残っています。

慎氏の後に王妃となった章敬(チャンギョン)王后は、淑儀から王妃に
冊封され、一男(12代王仁宗)一女をもうけますが、産後の肥立ちが
悪く24歳で亡くなってしまいます。

当時の中宗は、端敬王后慎氏と引き離され、その寂しさを敬嬪朴氏へと
向けたのです。

寵愛厚く、彼女は1男(長男)2女をもうけます。

中宗の長男を生んだことにより、彼女は確固たる地位を築きます。
さらに、故郷の実父や実兄もその恩恵を被り中央で任官されます。

章敬王后がお産のために早逝すると、中宗は、敬嬪朴氏を王妃にしようと
しましたが、彼女の出自が低すぎたため王妃の条件には合いませんでした。

章敬王后の後に後宮を勝ち抜いて王妃に冊封されたのが、
章敬王后の遠縁にあたる文定(ムンジョン)王后で章敬王后の生んだ元子
(後の仁宗)を育てながら、1534年に慶源大君を産みました。

しかし、敬嬪朴氏は自分の産んだ王子福城君(ポクソングン)が何と言っても
中宗の長男であることから世子にするよう画策しました。彼女は、
中宗の寵愛を利用して、朝廷での影響力を拡大させていきます。

文定王后との大バトルが勃発していくのです。結局このバトルに敗れた
敬嬪朴氏とその長子は陥れられ、灼鼠の変(1527年)に際し、
木牌の変(1533年)により母親共々処刑されます。

中宗はは38年2ヶ月在位した後、1544年11月14日に長男の仁宗に譲位し、
翌日56歳で死去しました。

カテゴリー: 朝鮮の歴史と時代劇 | コメントをどうぞ

東大門のミリオレの前でみんなでバチバチ美人の写真撮ってました

夜ご飯を食べにミリオレの横の道を歩いていたら、

横の入り口のところに3人の若い女性が囲まれていて
写真をバチバチ撮られていました。

一人はスラットしてめちゃくちゃ整形美人だったけど、
あとの2人はそうでもなかった。

名前も分からないけど、まあ男の人達がバチバチ
写真を撮っているってことは少なくとも一部の人達には
知られてるってことだよね。

あとで名前分かるかも知れないので、一応私も写真とっておきました。

有名になったら(もうすでにかも知れんけど)生写真
持ってるシーって言えるもんね。

カテゴリー: 有名人, 東大門 | タグ: , , | コメントをどうぞ

サミクファッションタウン


【出展ソウルナビ】

南大門の「新世界」というデパートの道路をはさんで
「メサ」というファッションビルがあります。

ここは、ここはどちらかというと若者向けもありますが、
おばさんやおじさん向けのファッションを安く
買いたい場合によく使います。

今日はその「メサ」ではなくもう一つ向こうの
三益(サミク)ファッションタウンについて
お話したいと思います。

 

私がいつもお気に入りで購入しているのは
このビルの3階にあるスーツの専門店です。

普通のおばさんぽい物からシャネルのコピーまで
いろいろあります。

まあ、この階に入っているお店はほとんどが
同じオーナーだそうですので、スーツの店であれば
ほとんど同じ物を置いています。

この店の良さは小さいものから大きいものまで
置いていることです。

私のサイズは日本でいうところの15号ですが、
ココでは99(クク)です。

ちなみにサイズは100(ペク)多分日本の
17号ぐらいまであります。
下は日本の7号ぐらいからあります。

カテゴリー: おしゃれ, デパート | タグ: , , | コメントをどうぞ

明洞 多味粥に行ってみた

明洞のお粥と言えば栄養粥が一番人気だと思いますが、
SAVOYに泊まっていたので近くの多味粥に行ってみました。

私はかぼちゃ粥(甘くておいしい)8,000ウォン

妹達はアワビ粥15,000ウォンを頼みました。

栄養粥はアワビ粥が12,000ウォンだったのでちょっと高め。
味はあまりどっちもかわらないかな。

辛くて重い食事とマッコリで重~くなった胃には
いい感じです。

でもやっぱり、朝食に15,000ウォン使うのは日本人だけですね。

  

カテゴリー: 明洞, 食べる | タグ: , , , , | コメントをどうぞ

南大門の激安雑貨・デコレーション卸店

南大門市場で激安デコレーションや雑貨の卸売店みつけました。

でも名前がわからん~
南大門がまん前に見える南大門市場の通りです。

こーんな近く

デコレーションのビーズいっぱい買って、
家にあるアロマディフューザーをデコってみました。


  

ついでに100均で買ったグルーガンで、
ちっちゃいバッグに四葉のクローバーを
付けてみました。

紙袋や、ビニール袋、飾り物の材料、オーガンジーの袋とか
とにかく量が多くて安い。

 

あと、リースとかも作ってあるものもあれば、自分で松ぼっくり
とか、リボンとか付けて、金色のスプレーなんか吹き付ける用の
道具もぜーんぶそろってました。

値段もものすごくリーズナブルで、多分日本の半分ぐらいの
値段で入手できたと思います。

次回はかならず名前を憶えてきますね。

今回は地図を貼っておきます。
文房具店のすぐ近くです。

南大門のまん前の店ですよ~

カテゴリー: お土産, 南大門市場, 雑貨卸 | タグ: , , , , | コメントをどうぞ

SHAINEE ジョンヒョンが死んじゃった。

2017年12月18日SHAINEEのジョンヒョンが練炭自殺した。
27歳だったって。
2年ほど前からソロでも歌を出したりして東京ドーム公演も
決まっていた矢先に、
なんで死に急いだんだろうね。

最近ちょっとメンタルっぽかったそうだけど、

私はSHINEE派ではなかったけど、韓国の若い歌手や俳優が
自殺するたびに思うんだけど。

そんなに人の目や口を気にしなきゃ生きていけない国なんだよね。

今年5月、Esquire Koreaのロングインタビューで
「幸せですか?」とたずねられ、こんなふうに答えていたんだって。
「何年か前に酔ったとき、寝ている母と姉を起こして、
『幸せか』と聞いてみた。母と姉が幸せなことが、人生の一番の目標だったから。
2人とも目を覚まし、幸せだと言っていました」

「羨ましいことです。幸せだと答えることができるのは。
僕も幸せになりたいと言いながら、わんわん泣きました。
その時から幸せについて悩みました。半年ぐらい、
どうすれば幸せになれるか具体的に考えました。

僕には変化の時期が訪れたのだと思います。
これからは幸せにならなきゃならない。幸せになろう、と」

いったい何を不幸に感じていたんでしょうね?
っていうかただ幸せじゃなかったんだね。

2017年12月9~10日にソウルオリンピック公園
SKオリンピックハンドボール競技場でソロのコンサート終わったばっかりじゃん。

なんかパク・ヨンハを思い出しちゃうけど、彼には色々
(お父さんの病気とか借金とか、マネージャーの持ち逃げとか)

問題あったけど、なかのとても良かったお姉さんに
「いままで辛かった」「お疲れ様って言って」と
メッセージを残したんだそうです。

今日2017年19日のフジテレビ系「とくだね」で
ジョンヒョンが友人に漏らした苦悩について話してた。

「音楽の能力が足りない。期待に応えられない」
「睡眠薬なしでは眠れない」
「治療を受けているけど良くならない」など、
仕事に関する悩みを打ち明けていたと伝えたと。

仲が良かったアーティストが「自分が死んだら公開してほしい」と
託されていた“遺書”を公開していた。

「私は内側から壊れた」「ゆっくり私を食い荒らした憂鬱は結局 
私をのみ込み私はそれに勝てなかった」「私は私を憎んだ」
「ただ『お疲れさま』と言って『これくらいやったならご苦労だった』と言って」
「笑うことはできなくても とがめて見送らないで」
「お疲れさま 本当にお疲れさま さようなら」。

よーく考えて決めたことだったんだね。

そして臓器提供と、姉に遺産を残したんだって。

作詞作曲が得意
背が171cm(小さかったんだね)

SMにスカウトされて入るときに親からとても
反対されたんだよね。たらればはいやだけど、違う道を歩いてたら
死ななくてすんだのかな?

ファンとは、インドネシアでコンサートした時に
警備が甘くてファンが押し寄せてジョンヒョンが足首を
怪我したことも大きく報道されちゃったんだよね

セギョンと付き合って8ヶ月で別れた時、
辛い思いをして、台湾のファンミーティングの時に
「ジョンヒョン、守ります」というプラカードを見たジョンヒョンは
感情が高ぶって泣いちゃったんだよね。

ナイーブじゃやってけないね。特に韓国ではね。

ただ幸せが何か見出せなかったんだね。
今幸せになったのかな~?「お疲れ!」

私も少しは分かるよ。もう10年も薬飲んでるもん。
もう一生治らないって言われてるもん。
でも生きるね。バイバイ!

カテゴリー: お悔やみ | タグ: , | コメントをどうぞ

第10代国王「燕山君」(ヨンサングン)1494~1506年

第9代王成宗の長男として生まれた燕山君は、朝鮮王朝27人の
王の中で、今でも一番評判が悪い王でした。

朝鮮27代のうち、大王と呼ばれなかった人が2人いますが
その中の1人が燕山君です。

これは彼の母親斉献王后がその嫉妬深さのために廃された
(側室の元に通う国王に飛び掛り、顔にかき傷をつけたりしたり、
側室たちに嫉妬し、彼女たちを砒素で毒殺しようとしたことが
発覚したためとも言われている)為で、廃妃が母親であることから、
当時の中国から属国である朝鮮の国王の宣下が出なかったためです。

「王と私」では、「花より男子」のク・ヘソンちゃんが、
そんなに悪くない母親として描かれていますが・・・
燕山君は父の死後、最低な国王として描かれています。

燕山君は幼くして母を廃妃→薬殺刑として失ったが、
このことは長く隠されていました。
ですが、、このことを知った燕山君は、
関係した人々をことごとく殺戮しました。
こうして燕山君は多くの人々から大きな恨みを買っていました。

その中でも特に私憤を持っていたのは朴元宗(パク・ウォンジョン)です。
彼の姉は、成宗(父)の実兄である月山君(ウォルサングン)の妻でした。
つまり、燕山君の伯母に当たる人物を犯してしまったのです。←さいて~
その伯母は辱めを受けたことにより自らの命を絶ってしまいます。
朴元宗はもともと高官でしたが、燕山君に敬遠されて地位を失って
しまいました。そんな彼に近づいてきたのは、燕山君に批判的な
態度を取り、左遷させられた成希顔(ソン・ヒアン)でした。

2人は燕山君を追放するための計画を立ました。
そのクーデターを成功させようと、当時とても人望の厚かった
柳順汀(ユ・スンジョン)を見方につけました。
燕山君は斉献王后の復位を望みますが、
周りから「罪人を復位させるなどとんでもない」など反対の
意見が多くあがりました。

彼はその意見をすべて無視して、母を復位させたうえ、
母親の死罪に関わった者たちや母親の復位に反対した者たちを
処刑しました。
さらに、すでに亡くなっている者に関しては、墓を掘り返して
首をはねたりもしました。
彼らは燕山君追放のためのクーデターを起こしました。
本来なら、側近や兵士たちが命を懸けて王を守ろうとしますが、
周りに酷いことをしてきた王を誰も守ろうとはせず、
愛想を尽かされた側近までもが彼らの味方をして、クーデターを
成功させ廃位となってしまいました。

燕山君は江華島(カンファド)に流罪となり、
その2カ月後に毒殺されたと言われています。

また、燕山君が王位を追われたことにより、彼と一緒に
放蕩三昧をした「朝鮮王朝3大悪女」の1人である
張緑水(チャン・ノクス)は斬首に処され、
王妃だった慎氏までも廃妃となり、彼女の実家も悲惨な目に遭いました。

ちなみにパク・ジヨンさんが演じた「王妃チャン・ノクス~宮廷の陰謀」は
悪女役ばっかりですね。
ぴったり合ってましたけど。

カテゴリー: 朝鮮の歴史と時代劇, 韓流ドラマ | タグ: , , , , , | コメントをどうぞ

第4代大王 偉大な大王セジョン(ハングル文字を作った人)

朝鮮時代の歴代の大さまの中で、多分
もっとも有名なのは世宗大王(セジョン)では
ないでしょうか。

特に、文盲率が非常に高かった(ヤンバン以外字が読めてはいけないと
言われていた)のを、母音と子音で出来ていて、覚えやすい
ハングル文字という画期的な一般の平民も読める文字を作り広めたことが
非常に有名です。

キム・サンギョンの「大王世宗」はあまりにも有名ですよね。

また、天文、測量、印刷などの分野で、色々な
発明を奨励しました。

日本で言えば、徳川吉宗将軍のような人だと言えます。

景福宮(キョンボックン)の正門「光化門(クァンファムン)」から
市庁(シチョン)方面へと続く世宗路(セジョンノ)。
ソウルの心臓部ともいえるこの道路中央の幅34m・長さ557mに
「光化門広場(クァンファムンクァンジャン)」があります。

そこにドカーンと世宗大王の座った銅像があります。
何度見ても威厳がありますね~。
 

若い頃は仏教を排除して、儒教を重要視しましたが、
晩年は病気がちとなり、それまで抑圧していた仏教に
すがるようになったようです。

銅像の裏の地下には世宗の偉業が並ぶ博物館があり、世宗大王が
世に広めたものが陳列されています。

1450年、53歳で崩御されました。
随分短い人生の中で、ものすごい沢山の偉業をのこしたのですね。

カテゴリー: 朝鮮の歴史と時代劇, 韓流ドラマ | タグ: , | コメントをどうぞ