仁宗は11代王中宗の章敬王后 尹氏が生んだ息子です。
朝鮮王朝の歴代君主中、最も在位期間が短い君主として知られています。
父親が在世中に改革を試みたが果たせず、遺物として残っていた宮中の腐敗を撤廃しようと試みました。
その中には中宗時代に趙光祖の提案によって設置され、一度は廃止されていた賢良科(科挙によらない人材登用制度)の復活も含まれます。
しかし生来病弱であった仁宗は、在世中も病のために、十分には政務を果たすことができませんでした。
死後、異母弟である文定王后の子慶源大君が第13代国王明宗として即位しました。
仁宗が手がけようとした政治改革は、多くの家臣たち、特に仁宗の義理の母文定王后尹氏の弟尹元衡に警戒されました。
仁宗の死後、彼の伯父にあたる尹任をはじめとする「大尹派」と、文定王后の実兄である尹元老・尹元衡をはじめとする「小尹派」との勢力争いが起こり、敗れた尹任は1545年に賜死されました。
もともと身体の弱い仁宗だったが、文定王后に毒を盛られたとの話もあります。
仁宗は30歳でその短い生涯を終えました。