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Category: 韓国の歴史と時代ドラマ

ジュリア・マロック 最後の世子妃の悲しすぎる最後

朝鮮王家最後の皇太孫妃の死はあまりにもさびしかった。 他界の便りさえ10日が過ぎた5日に、遅まき知らされました。 大韓帝国最後の皇太子・李垠(イ・ウン)の一人息子である故李玖(イ・グ)氏のジュリア・リー夫人(本名、ジュリ…Read More…

李垠の子孫 李玖(イ・グ)はどうなった?

「李垠」(イ・ウン)の死後は、その息子「李玖」(イ・グ)が李家当主になりました。 1931年(昭和6年)李王垠とその妃方子女王の第2子として誕生しました。 兄晋は夭折していたため、玖が王世子となりました。第二次世界大戦後…Read More…

李方子 様

  1901年(明治34年)11月4日、梨本宮守正王と伊都子妃の第一女子として生まれる。 皇太子・裕仁親王(後の昭和天皇)のお妃候補のひとりとして名前が取り沙汰されるが、学習院女子中等科在学中に李王世子である李垠と婚約し…Read More…

大韓帝国第3代目皇帝になる予定だった 李垠

    李 垠〈イ・ウン〉、1897年10月20日 – 1970年5月1日)は、大韓帝国最後の皇太子で、日本の王族、李王と呼ばれました。 大韓帝国時代の称号は英親王。李氏朝鮮第26代国王・初代大韓帝…Read More…

第27代王「純宗」(スンジョン)1907~1910年

「純宗」(スンジョン)は1874年3月25日誕生、 1926年4月24日崩御しました。 在位は1907年7月20日 – 1910年8月29日です。 父高宗と母は閔妃(ミンビ)の長男としてうまれました。 190…Read More…

第26代王「高宗」(コジョン)1863~1907年

  第25代の哲宗王が跡継ぎもなく死去したため、17代孝宗の系統はとだえました。 このため、孝宗の弟(16代仁祖の三男麟坪大君)の八世孫である高宗が王位を継ぎ、その系統が李王家となりました。 麟坪大君の六世孫にあたる南延…Read More…

第25代王「哲宗」(チョルジョン)1849~1863年

第24代王憲宗が子をもたず、22歳の若さで亡くなった為、急遽、正祖(イ・サン)の弟・恩彦君の息子である全渓大院君と龍城府大夫人廉氏の三男(英祖が米びつで餓死させた荘献世子の曾孫)が25代王となりました。(その時王族に6親…Read More…

第24代王「憲宗」(ホンジョン)1834~1849年

憲宗は、1830年に第23代純祖王の子、孝明世子が世を去り、1834年に純祖が薨去すると、わずか7歳で即位しなければなりませんでした。 純祖の妃である純元王后が摂政となっていましたたが、安東金氏(純元王后の実家)と豊壌趙…Read More…

第23代王「純祖」(スンジョ)1800~1834年

純祖は、正祖の次男で孝懿王后の養子として迎えられました。 兄・文孝世子の死後、1800年に10歳で世子になり、同年に即位しましたが、英祖の2番目の皇后だった貞純王后の摂政で政治を主導しました。 貞純王后は正祖が進めていた…Read More…

朝鮮王朝の王の妻(側室)の呼び名

朝鮮時代の国王後宮の側室の地位と呼び名は「品階+姓」で呼ばれました。 正一位 嬪(ピン) ・側室がなれる一番上の位で、重要な地位の王子を産んだ側室だけがなれる地位。 トンイは、奴婢の生まれでしたが、女官になってから王の寵…Read More…

第22代王 正祖(ちょんそ)(イ・サン)1776~1800年

韓国時代劇のドラマ『イ・サン』、『三銃士(パク・ダルヒャン)』や映画『王の涙-イ・サンの決断-』の 主人公として有名な正祖(チョンジョ)ですが、王になる前から何度も命の危機にさらされました。 21代王・英祖の息子荘献が世…Read More…

第21代王「英祖」(ヨンジョ)1724~1776年

粛宗の次男にあたり、母は和敬淑嬪崔氏あのドラマで有名な「トンイ」です。 朝鮮王朝の歴代君主中最も長生きした君主であり、在位期間もおよそ52年間と最長記録をもっています。 1699年に延礽君に冊立された。生母・淑嬪崔氏(ト…Read More…

第20代王「景宗」(キョンジョン)1720~1724年

粛宗の長男であり、父の粛宗は彼の誕生を非常に喜んだとされ、側室の張禧嬪は一旦は王后になりますが後に前の仁顕王后が復位し、張禧嬪は嬪に降格し、後に仁顕王后が亡くなった時、呪詛したとして賜死します。 にもかかわらず3歳の時に…Read More…

第19代王「粛宗」(スクチョン)1674~1720年

1661年8月15日 (旧暦)に顕宗と明聖王后金氏の一人息子として生まれ、1667年に王世子に冊封、1674年8月に14歳で朝鮮国王に即位しました。 歳は若くても、直接国を統治しました。 三大悪女といわれる張禧嬪(チャン…Read More…

第18代王「顕宗」(ヒョンジョン)1659~1674年

顕宗は第17代国王孝宗の第1王子です。 外国からの侵略がなく先代の孝宗のおかげで国内情勢も安定していましたが、在位15年間中、西人と南人の第1次礼訟論争(1659年)で父の考宗が亡くなった時、祖父仁祖の息子達より若い継妃…Read More…

第17代王「考宗」(ヒョジョン)1649~1659年

仁祖の次男で、兄の昭顕世子とともに清で人質生活をすごしたが、仁祖に毒殺された疑惑がある兄とは違い、完璧な反清主義者になりました。 これは父の仁祖が清の皇帝ホンタイジに跪いて臣下の礼を取らされた恥辱を忘れずにいたことと、人…Read More…

16代王「仁祖」(インジョ)1623~1649年

綾陽君は第14代国王宣祖の庶5男定遠君李琈(元宗)の長男として生まれました。 綾陽君は本来王位を望める立場ではありませんでしたが、明と後金の両方に尻尾を振る光海君を生ぬるいとする西人派が1623年3月13日、クーデターに…Read More…

15代王「光海君」(カンヘグン)1608~1623年

第14代国王・宣祖の次男(庶子)で、母は宣祖の側室の恭嬪金氏。 第11代国王中宗の曾孫にあたります。なお庶子で長男の臨海君は気性が激しかったため世子としませんでした。 当時の朝鮮では嫡庶の別や長幼の序は大変厳格でしたが、…Read More…

14代王 宣祖(ソンジョ)在位:1567-1608

即位前は河城君(ハソングン)。父は第11代国王・中宗 恭僖王と昌嬪安氏の三番目の息子・徳興大院君李岹であり、中宗の孫、第12代王仁宗と第13代王明宗の甥にあたります。 13代王・明宗(ミョンジョン)には息子が1人いました…Read More…

13「明宗」(ミョンジョン)1545~1567年

明宗は11代中宗の文定王后(中宗の後宮で勝ち抜いた)が生んだ息子で11歳で即位しました。 在位当初から8年間は母親の文定王后尹氏が実権を握り、文定王后は一族で政権を独占し、賄賂政治で不正を横行させたたため、社会や政治が混…Read More…