朝鮮時代の歴代の大様の中で、多分最も有名なのは世宗大王(セジョン)ではないでしょうか。
特に、文盲率が非常に高かった(ヤンバン以外字が読めてはいけないと言われていた)ことをなげき、母音と子音で出来ていて、覚えやすいハングル文字という画期的な一般の平民も読める文字を作り広めたことが非常に有名です。
キム・サンギョンの「大王世宗」はあまりにも有名ですよね。
また、天文、測量、印刷などの分野で、色々な発明を奨励しました。
日本で言えば、徳川吉宗将軍のような人だと言えます。
景福宮(キョンボックン)の正門「光化門(クァンファムン)」から市庁(シチョン)方面へと続く世宗路(セジョンノ)の「光化門広場(クァンファムンクァンジャン)」にドーンと座った大王世宗の銅像があります。
何度見ても威厳がありますね~。
若い頃は仏教を排除して、儒教を重要視しましたが、晩年は病気がちとなり、それまで抑圧していた仏教にすがるようになったようです。
銅像の裏の地下には世宗の偉業が並ぶ博物館があり、世宗大王が世に広めたものが陳列されています。
随分短い人生の中で、ものすごい沢山の偉業をのこしたのですね。
ソウルに行ったことがあるあなたなら、景福宮の前の大広場にある大王世宗の大きな像を見たことがあるかもしれません。
大王(テワン)とはもっとも偉大な王様にだけ使われる言葉で、そういった意味では世宗大王が韓国で一番有名なのではないでしょうか。
世宗大王があの非道な第3代王のバンウォンの息子だなどととても思えません。
そういった意味では、自ら身を引いた長男や次男を含め、バンウォンは、心根の優しい息子たちに恵まれたと
言えるでしょう。
大王世宗は志半ば、1450年、53歳でなくなりました。
長男の文宗が5代目の王となりますが、38歳の若さで病死するとその息子の端宗が後をついで6代目の
王となります。
ところが、長男よりも出来の良かった次男は、自分が殺されると思い、17歳の端宗を陥れ賜死させ、自分が王座に就きます。
あの立派な世宗でさえ、生きていれば耐えられない子供たちの血なまぐさい争いが、あったと思えば、
それを見ずにすんで、良かったとしか言いようがありません。