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李徳恵(朝鮮のラストプリンセス)

李徳恵1912年 – 1989年)は、大韓帝国皇帝高宗の王女で、異母兄は27代朝鮮君主の李純宗でした。

また大韓帝国最後の皇太子李垠 の叔母にあたります。

徳恵韓国併合後の出生かつ特例的に王族(王公族)として扱われ、徳恵姫(とくえひめ)と呼ばれた。

実母と死別後の1930年頃から奇行が現れ、登校拒否や不眠の症状があったため病院で検査の結果、現在の統合失調症であとの診断をうけました。

徳恵姫の結婚については、朝鮮の王公族は全州李氏のみで構成されていたため、徳恵の結婚相手は、皇族、華族、朝鮮貴族、臣民(平民)に限定されていました。

このうち、皇族男子が王公族と婚姻することは、禁止されていたため、1931年時点で、朝鮮貴族のうち全州李氏ではない男子は、侯爵3名、伯爵2名しかおらず、うち徳恵と年齢が近い唯一の人物である李丙吉侯爵は既婚だったため、独身の適任者はおらず、日本の伯爵である宗武志が選ばれました。

1932年(昭和7年)に娘の正恵(まさえ)をもうけましたが、元々あった現在でいう統合失調症が悪化し、1955年に宗とは離縁し大韓民国に戻り母方の姓を名乗って梁徳恵となりました。

梁徳恵 は日本から嫁いだ李方子(まさこ)様と暮らしていましたが、長く患い、1989年(平成元年)に逝去しました。