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第2代チョンジョンは本当は幸せな人だったのかも

初代朝鮮王朝の太祖の次男としてうまれた
李芳果(イ・バンカ)は優秀で、父に就いて
多くの戦いに参加し多くの功績を立てましたが、

性格がやさしく、兄弟で殺しあってのし上がることを
嫌いました。

太祖は、後継ぎを先の后の子ではなく、若い
后の息子(8男)と決めましたが、
第二次王子の乱で、一番権力を持つ5男の
バンウォン(後の第三代王)らが、8男と
その兄の7男を殺すと、

病気がちの太祖は、次男を王にして、隠居し、
バンウォンを遠ざけました。

次男のバンカは、本当は世子(せじゃ)になりたく
ありませんでしたが、
いやいやながら世子になり、2年間だけ王になりました。

その後第二次王子の乱で、5男のバンウォンが4男を
制圧したのを機に、さっさとバンウォンに王の座を
譲って、悠遊自適な生活を送りました。

バンカは王座を退いてから18年後、63歳で
4代目王の世宗元年になくなりました。

朝鮮の歴史は、兄弟や親類で王座を奪い合い、
血なまぐさい事件も多い中で、この人は
幸せな人生だったのかもしれませんね。

「龍の涙」では、無能な気弱な王として
表現されていますが、多くの子供にも恵まれ
子供たちが殺しあうのを見なくてすんだことを
考えても、彼の生き方はよかったのかもしれません。