1414年、世宗の長男として生まれて、
7歳で世子(セジャ)となり、
世宗大王が健康を害していたため、
即位前(世宗24年)から摂政として
政務に携わりました。
文宗自身も 若くして病に倒れ、
在位2年、38歳で逝去しました。
文宗の最初の2人の妃は子がおらず廃妃されており、
後をついだ端宗は側室の3人の中で男の子をもうけた
顕徳王后(ヒョンドクワンフ) 権氏です。
2014年11月現在放送中の「インス大妃」でも、
体の弱い自分とその幼い世子の行く末を心配
しながら死んでゆく(自分よりよくできると言われた
弟である第7代王の世祖となるスヤン大君に息子が
王座を奪われる)可哀想な王様として描かれています。