明宗は11代中宗の文定王后(中宗の後宮で勝ち抜いた)が生んだ息子で11歳で即位しました。
在位当初から8年間は母親の文定王后尹氏が実権を握り、文定王后は一族で政権を独占し、賄賂政治で不正を横行させたたため、社会や政治が混乱しました。
『大長今』では、主人公チャングムの支援者として描かれていますが、「チャングム」の中でもチャングムに毒殺を依頼していましたが”私の医は人を生かす医術で人を殺す医術ではありません”と断わりました。
実際にはドラマ『女人天下』で描かれたように後宮の争いを勝ち抜くために色々な陰謀を企てた怖い王后だったようです。500年の朝鮮王朝でも「稀代の悪后」と呼ばれる王妃です。
1565年、文定王后がこの世を去った時、悪政の終わりを意味していると思われました。
事実、明宗は新しい人材を登用して、文定王后の息がかかった奸臣たちを罷免したりしました。
追放された者の中には、文定王后の弟であった尹元衡(ユン・ウォニョン)もいました。
彼は明宗にとって叔父でしたが、悪政の象徴のような人物であり、新しい政治には邪魔となる存在でした。
民衆のための善政を始めた明宗でしたが、わずか2年で命が尽きてしまいました。
1567年に亡くなったときは、33歳の若さでした。
文定王后の悪政に心を非常に痛めていた明宗は、結局は極度のストレスによって命を縮めてしまいました。
ちなみに「オクニョ 運命の女」では、時々オクニョに会って世間で起こっていることを調べる王(自分自身)の家来のフリをする役をしていましたね。
実はオクニョとは兄妹だったんですね。でもオクニョ自体は架空の人物です。